[エース君、帰りに本屋行きませんか?
参考書見たいって言ってましたよね?]




『OK。昇降口で待ってる、・・・と』

昼休み、屋上で昼食をとっていたエースは、メールを見てにやける。 響く着信音はだけのもの。 明らかに頻度の高くなったやり取りは彼の心に満足感を与え、誰が見ても分かるほど幸せそうだった。

『最近仲良いじゃねぇの?あの子と』
『ふっふっふっ。そう見えるか??』
『気持ち悪い奴だな』

隣にいたサッチが苦く笑いながら大きな口でパンを頬張る。 「携帯なんて電話出来れば良い」と思っていたような男が一生懸命メールを返す姿は正直頂けない。 けれど、まるで目の前に想う彼女が居るかのように頬を染めながら所作するエースに、サッチは微かに笑って溜息を吐いた。



映画は、結果として「成功」だ。 流石にこの前のように手は繋げなかったけど、待ち合わせをして映画を見て、美味しいご飯を食べて、ふらりと街で買い物をして。 そして最後にはちゃんとを家まで送り届けた。そう、まるで「デート」そのものだったのだ。

それからこうやって電話やメールもするようになったし、放課後寄り道をしたり、休日は二人で出かけたりするようにもなった。 まだまだ友達から抜け出せて居ないような気もするが、の瞳に入っていると言う事は自分にとって十分な優越感だった。



、ごめん!待たせた』
『はい。待ちましたが良いです』

放課後、エースが急いで昇降口へ向かうと、廊下でが壁に背を預けていた。 つまらなさそうな顔をしているところ見ると、思ったより遅れてしまったんだろう。 時計を見るくらいなら急ごうと思っていたエースが手に持っていた携帯で時間を確認すると予定より大分時間が経っていた。

それよりもの態度。違う、彼女の態度が悪い分けじゃない。このひんやりとした言い方は彼女ならではの冗談なんだろう。 表す言葉ほど責めているわけではないらしい、見れば靴を履く顔が少し綻んでいる。 エースは隠せないにやりとした笑みを見えないように手で覆いながら、急いで隣に並んだ。

『ごめんって、』
『先生に呼び出された、とか?』
『おお、当たり。この前の小テストの点数が良くなったからだと』
『良くなって呼び出されるってエース君らしいです』

ほら、はこうやって自然と笑ってくれるようになった。 大きな口を開けて笑うとか、感情のままに涙を流す、なんて自分の前ではまだ無理かもしれないけれど、見れる表情が増えてきた。 やっとだけれど、彼女の事が少しずつ分かってきたと言える。 普段は無表情だけれど優しい瞳をしたり、嬉しいことがあれば口元を緩ませたり。 そんな嬉しさに眉を下げていたエースは乱雑に靴を履きながらの後を追う。

と一緒に勉強するようになってからだ』
『今までがやらなさすぎだっただけでしょう?エース君は飲み込みが早いのですぐに成績上がりますよ』

そう言うとは鞄を肩にかけた。少々重そうなのはエースの薄っぺらいそれと違い教科書の類を入れているからだろうか。 持ってやろうかと手を差し出した所で、視界に人影が入った。

『ん?またお前達かよい』

マルコ、だ。エースは動きを止めた。 彼はこの学校の教師だ。何処に居たっておかしくはない。 けれど今この雰囲気を壊すには十分な要素だった。
 
『はい。エース君と参考書を見に行こうと・・・』
『お前の意欲はいつも高くて感心するよい』
『有難う御座います』
『あ、もしかしてエースが成績上げたのはお前のお陰か?』
『いえ、彼の努力だと思います』

はマルコの瞳を見て当たり前のように話している。 こんなの出会った頃からと比べたら信じられないくらいだ。 マルコの視線の先に居ながらも、その視線を向けて欲しいと思っていたのにも関わらず、結局は受け付けずにいた。 どんな視線だって、自分だけのものなら嬉しいときっと思っていただろうに。

『そうですよね、エース君』

振り向いたの、清清しい表情。 不意にエースの胸に渡り廊下の成績表の前で感じた不安にも似た気持ちが込み上げてきた。 理由は「これ」だったんだ。

だって、もし、自分が想うように彼女がマルコの事を想っていたら、簡単には諦められないんじゃないだろうか。 瞳を見れるようになったのは自分も同じだ。そう、同じ。 最初は言葉を交わすことすらたどたどしくて、目を見ることすら難しかった。 でも時間を重ねた今は自然な自分を出す事が出来るようになったし、友達のように冗談だって交わせる。



自分と彼女が同じなら?もし清清しい表情が、吹っ切れたんじゃないとしたら?



エースはごくりと息を飲み込んだ。

自分はもう既に後戻りが出来ないと、そう確信している。
こんな風に想える相手は、きっと生涯でただ一人。彼女が大事だと心から思う。

だったら、自分に選べる答えは一つ。



『エース君?』

マルコが「寄り道はするな」と言い残して去った後、がエースの顔を覗き込んだ。 何処か遠くを見るように呆然としていたのは傍から見ても分かり易かっただろう。 の事を見ないエースの鞄を持つ手には力が無く、は首を傾げた。

『あの、えっと、そうだ。今度の日曜一緒に勉強しませんか?折角参考書買うんですし・・・』
『ごめん、忙しいから!』

突然の、大きな声。そしていつもよりずっと深いエースの声には言葉を失った。 力ないと思っていた手はいつしかしっかりと握られ硬い拳が出来ている。

『そうですか・・・。では、いつお時間ありますか?』
『無い』
『え?』
『時間なんて、』

エースはへと視線をやる。優しくも悲しげな眼差しで。

これ以上一緒に居たら、もっとを好きだと思ってしまう。 我侭になって、欲張って、無理と知っていても手に入れたいと願って。 この強い想いはいつか彼女を傷つけてしまうんじゃないかなんてさえ思える。


そんな自分に彼女を愛する資格は、

『もう、・・・無い』






『あれ、どうしたの?。今日エース君と参考書見に行くって言ってたじゃない』
『ミント』

夕暮れに染まる昇降口でただ呆然と立ち尽くす友人を見つけたミントは、ポンと背中を押した。 ミントも何処かへ出かける予定なのだろうか、携帯を開き何やらやり取りをしている。 軽い気持ちで聞いたミントだったが、の反応は薄い。
もう一度どうしたの、と聞こうとした瞬間。が口を開いた。

『・・・どうしたんだろう?』
『へ?』

エースの言葉に、はぼんやりとした自分の感情を片隅で考える程度にしか出来なかった。 急に真剣な、けれどどこか沈んだ声を発したエース。 それに見たことのないあんな表情は、追いかけて理由を聞こうとするには十分の制止だった。 はただただ動く事すら出来ず昇降口の向こう、今は無い後姿を思い浮かべる。

『・・・仲良くなったと、思ったのにな・・・』

がポツリと言い放った言葉は、隣に居た友人にすら聞こえなかったかもしれない。



どんな形になったとしても、自分の気持ちを大事にしたい。
こんな風に誰かを想えるのはきっと、最初で最後だから。





08.いつの間にか、そう、いつの間にか
(僕の生涯、最初で最後だって)

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