『お前、どうしたの?』
『・・・別になんでもねぇけど?』
机に突っ伏したまま元気の無いエースに、サッチは問う。 正直、疲れ知らずの彼が学校に来て放課後までずっとこうしている事に、違和感を感じれずには居られない。 しかもそれは此処最近と言うのだから、それは尚更だ。
『不貞腐れてんなよ』
『そんなんじゃねぇよ』
そう言うとエースはサッチとは反対方向を向いてしまった。 サッチが何を言わんとしたか、鋭くも理解したようだ。 言葉にしなくても直ぐに分かるなんて、よほど神経質になっているんだろう。 サッチは溜息を零して頬杖をついた。
『おれは羨ましいと思ったけどな』
エースの後姿にそう言ったが何も返ってこなかった。 いや、別に返ってこなくたって良かった。言いたい事を、自分本位に言いたかった。 だって自分は彼のように天に昇るような気持ちも、水中に沈むような気持ちも味わった事が無かったから。 それだけで十分な経験なんだと、伝えたかった。
『・・・自分の奥、それよりももっと深く考えられる程、誰かを好きになるって事。貴重だぞ?』
すると、エースは身体をゆっくりと起こしてサッチを見た。 眉を下げ、上がらない口角で溜息を吐く。 その顔の、なんと情けないこと。この顔を見られたくないと彼は思ったのだろうか。
『・・・経験するだけが、良いとは限らねぇよ』
心を立て直せないエースはサッチを真っ直ぐと見る。
無い者は有る者を、有る者を無い者を羨ましがるものだ。
『が、学生は勉強が本分だぜ!次の授業の用意しようぜ』
自分の気持ちを伝えても駄目なようだ。 何を言っても暗いエースに、サッチは話を変えようと時計を指差した。 まるで興味の無い授業の話なんて残念だが、咄嗟に出たのだから仕方ない。 時計を見れば短い休み時間も終わりに近づいている。次は確か国語の授業だ。
『あ、教科書がねぇ・・・』
『イゾウに借りて来いよ』
無い時間の中で教科書を借りるなら隣のクラスが妥当だ。 余り行きたくは無いが教科書を借りる為エースが渋々隣のクラスへと向かおうとした時、イゾウが丁度廊下に出ていた。
『おう、エース』
『イゾウ、国語の教科書貸せ』
『あー、今日うち国語ねぇよ』
『マジか』
ヒラヒラと手を振ったイゾウはエースの言葉に顔を顰めた。 貸してやりたいのだが、そもそも今日は授業自体が無い。 諦めたエースは誰でも良いから教科書を貸してくれそうな人物に声をかけようと周りを見回した。すると、
『・・・あの、』
『あぁ?』
『あの、国語の教科書忘れたって聞こえたから。良ければ使って下さい』
声の方向へとエースが振り返ると、丁度始業のチャイムが鳴る。そして廊下に窓から風が入り込み声との間を通り抜けた。
『・・・』
振り返った先には、が居た。彼女を正面から見たのはどれだけ久しぶりだっただろうか。 彼女はしっかりと真っ直ぐにエースの瞳を見て、見慣れた片方の手で教科書を差し出している。
それはまるであの日のように。
『では、』
反応の無いエースにほぼ無理矢理教科書を押し付け、それだけ言うとは自分の教室へと入ってしまった。 エースは何も言えなかった。何を言って良いのか分からなかった。 は責めない、そして問わない。何も言わず、ただ真っ直ぐな視線を向けただけだった。
の真っ直ぐな視線は、あの日彼女と初めて出会った日を思い出させる。
心地良い風に桜の花弁が舞う、まだ長袖を着ていた時期だった。
あれからと居ても居なくても、彼女の事ばかり考える。 普段の無表情、不意に見せる笑った顔、切なそうな瞳。 諦めようとしたって、この脳裏に焼きついた感情は色褪せる事が無い。 だって、自分の胸にしまった気持ちは、距離を置いたあの時から、何一つ変わっていない。変われていない。 寧ろ自分の気持ちを抑制した事で、気持ちが膨らんでいるんじゃないかとさえ思える。
『・・・んだよ・・・』
伝える事もせず伝わる事も無く、けれどずっと変わらない想いを抱いているなんて。
『だぁっ!くそっ!!』
一度は席に着いたエースだったが、大きな声と共にガタリと椅子を鳴らして勢い良く立ち上がった。 教師は目をぱちくりとさせ、クラスメイトは一斉にエースを見る。 しかしエースはそんなの関係ないとばかりにズカズカと教室を出て、隣のクラスの戸を力任せに開けた。
『!!』
エースの声と、思いっきり開けたドアの乾いた音。 響き渡るそれにイゾウを筆頭とした隣のクラスメイト達と黒板に向いていた教師は手を止めた。 しん、と、静まり返る教室をエースは気にも留めなかった。 ただ真っ直ぐにの前に行くと、姿勢を正して立ち尽くす。
『あの、エース君、今授業中・・・』
目の前に突如現れたエースにも戸惑った顔をしていた。 クラス中の生徒が何をしでかすのかと伺うようにエースを見る。 近くに居たイゾウも、警戒しながらクラスで唯一立ち上がり、の近くへ行こうとしたその時、
『エエエエエース君??』
エースがを抱き締めた。
には何が何だか分からなかった。 座っている自分に向かってゆっくりとエースが屈んできたと思ったら、そのままふんわりと抱き寄せられた。 強い力だが、痛くは無い。ただ熱いほどの身体が優しく包み込んでいる。 どうして良いのか分からずぱちくりと瞳を瞬かせていると、エースは小さな声で呟いた。
『おれ、嫌な奴だ』
『・・・へ?』
そう言ったエースはの耳元で掠れたような声を出す。 それは驚きに満ちた静かな教室でも、耳を澄まさないと聞こえないような声。
『君があいつを好きでも、他の誰かを好きになっても、きっと諦められない』
エースは身体を離すとの顔を見る。至近距離のそれに、はまた反応出来なかった。
『応援なんて出来ない。きっとまたつけ込む隙を見つけようとする。だから、』
エースの悲痛な顔。こんな顔は誰だって見たことが無かったと思う。 寄せた眉とゆらゆらと煌く瞳、それは今にも泣きそうで、は魅入ったようにエースを見つめる。 息を呑み、ゆっくりともう一度を抱き締めたエースは、細い肩に自身を埋めた。
『恋をするなら、おれとにしておけよ』
まだ見れてない表情がある。知らない仕草が有る。 まだしてあげれてないことが山ほどある。伝えてない気持ちがある。 燃え尽きても良いと思うほどの想いが此処にある。
授業中だろうが、誰が見てようが、あいつをまだ想ってようが関係ない。
『・・・好きだ』
熱いのは体だけじゃないようだ。 窓から入り込む風は湿気を帯びて季節が変わっていくのだと知らせてくれている。 季節のように、の心も変わってくれる事を信じて、 エースは強く強く、苦しいほどの想いが伝わるようにを抱き締めた。
(未来永劫、君が好きだ)
ちっぽけな僕の なけなしの勇気
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