展示されている絵画は、有名な人物のもの、らしい。
手に持つパンフレットと絵画、そしてその説明文を見ながら
ゆっくりと一つ一つ感動に瞳を輝かせているには悪いが、エースは退屈だと隠れて大きな欠伸をした。
これでもう、三度目だ。
はじっと観ているが、この作品の良い所なんて何が何だかさっぱり分からない。
幾重にも色が重ねられている油絵だが、贔屓目に見てもまるで絵が上手な子供の落書きだ。
それでもエースは理解しようと絵の下に小さく書かれている説明を読む。
「希望を象徴している」と書かれていたが、これの何処ら辺が希望なんだか。
そもそも実体の無い、形として曖昧なものを絵に表そうと言う発想が自分には良く分からない。
慣れないところにはくるもんじゃないな、
なんて眉を下げながら思ったが隣で嬉しそうにしているをチラリと見るとその顔も自然と綻んだ。
美術館自体は全く面白くなかったが、とこうして出かけられたのだから結果としては良かった、と思う。
昨晩は子供のように緊張して寝れなくて、今朝はらしくない程早く起きた。
着る服だって決まらなくて自分は意外と女々しい奴だったんだと知った。
予定よりも大分早く着いた駅で彼女を待つあの時は、心臓が異常なくらい早く動いていて、
そして、予定より10分早く着いたのに彼女が「遅くなってごめん」と言った瞬間に、もう一度胸を射抜かれた。
つまり、自分は想像以上に彼女に本気だって事だ。
『絵画、本当は好きじゃないんでしょう?』
十分に趣味の時間を堪能したは、鞄にパンフレットをしまいながら言った。
後ろにはついさっきまで居た美術館が見える。
大きく近代的な構造で、文化物を展示するにはこの街一番のものだ。
に似合い、とてもしっくりくる背景は言葉に鋭さを増し、エースは苦く笑う。
『・・・ばれた??』
どうせ嘘をつき通すことなんて自分には大抵無理なのだ。
伺うようにを見ると、彼女は相変わらずの無表情のままだったが納得したらしく数回頷いた。
『まぁ、貴方はとても分かり易いので』
も、美術館に入った瞬間分かったようだ。
眉を寄せ、首を傾げ、時には欠伸を零していたエース。
は退屈させているのは申し訳ないと自分の足を急かしたのだが、
それなのに「もっと観たい」とか相反する事を言った。
それは多分自分の為に言ってくれているんだと、2回目で分かった。
『さんは絵画に興味あるの?』
まるで読まれていた事に頭をかいたエースは暫く続く石畳をの歩調に合わせて歩く。
この辺りは開発地域で整備された環境が広がる。
石畳の周りを囲むのは花壇。街まで続くこの道はずっと季節の花々がめいっぱいに咲き乱れ美しい。
まるで国外のような景色に、エースの心は更に躍る。
『』
『は?』
浮かれた足取りのエースを止める一言。首を傾げるに視線をやるとは自分を指差した。
『と呼んで下さい。「さん」なんて、変』
息を吸い込んだまま、吐けなかった。ぱちくりと何度か瞬き、首を傾げる。
そりゃ同学年なんだし「さん」は確かに変な気もするが、敬語を使っているだって変と言えば変だ。
でも、今はその話じゃなくて、折角そう言ってくれるなら。
『じゃ、んと、・・・・・・ッ』
エースは一気に詰まってしまった喉の奥から声を出した。
目の前で満足そうに頷く相手をただ「」と名前を呼ぶだけなのに緊張しているなんて。
『えと、そうだ。質問の続き。私はちゃんと好きです、絵画』
『・・・その言葉、胸に痛い』
そんな事も露知らずのは、先程のエースの質問に答える。
「私はちゃんと好き」だなんてエースが絵画の類は好きじゃないと言わなくても分かっているんだろう。
彼女の言う冗談らしい。エースはから視線を外して行く先を見た。
『・・・もっと話の通じる奴と来れば良かった?ほら、あの友達とか、』
「アイツ」、とか。
エースはそう言いかけて、やめた。わざわざこんな事を今蒸し返す必要は無い。
けれどそんなエースの心情を汲んでしまったのか、は歩く足を止めエースの後姿をじっと見た。
『・・・マルコ先生と行きたかったのは本当です。
今回展示されていた絵画の作家さん達を、あの先生はよくご存知ですから。きっと勉強になると思いました』
その言葉に、エースも足を止める。
後ろから聞こえる声はいつものように凛としていたが、表情はどうなのだろうか。
またあんな顔をされたら、本当に胸に痛い。振り向くのが、少し怖かった。
『でも今日は貴方と来て良かった』
そんなエースの後姿に、は言葉を続けた。エースは、ゆっくりと振り返る。
『顔を顰めながら首を傾げるエース君が、面白かったので』
見えたのは、眉を下げた顔ではなかった。切なそうにしていた姿勢でも、揺れた瞳でもない。
それよりももっともっと、胸をぐっと両腕で強く掴まれるような、そんな感覚にさせられた。
が、笑っている。
『わらっ・・・!』
目の前に居るが笑った。初めて、笑った顔を見た。
エースは思わずを指差しながら出ない声を出そうと喉を詰まらせる。
こんなの、人間なのだから表情が変わるのは当たり前の事なのだが、はなかなか匂わせないと思っていた。
もっと時間がかかったり、もっと親しくなるような事柄がないと
あの友人に見せるような表情を見せてくれないと思っていた。
だから、本当に度肝を抜かれた気がした。
『今日は付き合ってくれて有難う御座います』
まだぽかんとしているエースを笑いながら、は小さく礼をする。
そこでやっと普段通りになったエースは姿勢を正した。
『いや、おれの方こそ!』
『でも、今度は違う場所にしましょうね』
小さく笑うは歩き始める。エースの隣に並んで高い靴音を鳴らした。
『・・・え?いいの?』
『は?何がですか?』
『だから、おれとまた遊んでくれるって事?』
慌てて歩き出したエースは、その先へと行ってしまうを追いかけた。
今の言いようからすると、それは。
『はい。今回意外と貴方が面白い方だと知れましたし、また機会があると嬉しいです』
『お、おれもそう言って貰えると嬉しい!!』
エースはの見えないところで拳を強く握った。
本当ならこのまま天に突き出して大声の一つでも上げてやりたい気分だった。
けれどもう片方の理性と言う手でそれを制止、いつものような表情を浮かべるに努力する。
見るとは風に舞い頬に触れた自分の髪をさらりと流して、視線を宙に彷徨わせた。そして、
『じゃあ、そうですね。美術館は・・・もう止めましょう。今度は博物館にしますか?』
『・・・それ、マジで言ってんの?』
『え?駄目でした?』
今度の表情は、本気だ。エースはきょとんとしたに、思わず吹き出した。
『わ、』
『おわっ!?』
その時、小さく声を零したはバランスを失いふらりとよろけた。
石畳に足を取られたのだろうか。
エースは咄嗟に出た手での両肩を支えると、そのまま倒れてしまうのを防ぐ。
『大丈夫か?』
『すみません。前を見て歩いてるつもりだったんですが・・・』
すっぽりと自分の手のひらに納まってしまいそうなほど小さな肩は、か弱い異性なんだと実感させられる。
細い首も、頼りない腕も、靡く髪の毛一本だって女の子で。
エースの視線はそんな後姿に奪われてしまった。
は、女の子。それも、世界で一番大事な女の子だ。
エースはゆっくりと息を吸い身体に満ちさせた。
そして一度両手をぐっと握ると、力を抜いて一点へと動かす。
『・・・あの・・・?』
エースの右手が向かったのは、の左手だ。
しっかりと握り締め少しだけ強引に引っ張る。
顔が見れないようにしているが、この角度からだと頬ぐらいは見えているだろうか。
真っ赤になった自分を見られるのは恥ずかしい。
『腹減った。何か食べに行こう』
『・・・はい』
有無を言わせないようにと言葉を発した途端、自分の身体が熱くなりまるで焔になったみたいだった。
エースはこの熱さに逃げられないよう、の手を握る力を強めた。
06.やっと隣を歩けた
(僕の事を意識して、くれてるんだよ・・・ね?)
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