恋ってなんだ 一目惚れってなんだ、
そんなもの食えねぇんだから美味くないに決まってる。
そう思っていたのは、ほんの少し前の自分。




『・・・ありゃなんだ』

呆けたままのだらしのない顔つきで窓の外を眺めているエースに、 イゾウは飽きれていると誰にでも分かる溜息を吐き顔を顰めた。

『さあ・・・』

授業も終わり、既にちらほらと他生徒が帰宅し始めている時間。 誰を探しているわけではない、エースは窓の向こうに見える校門を通り過ぎる面々をただぼんやりと眺めていた。

共に帰ろうと隣のクラスから声をかけに来たイゾウだったが、 エースの反応が無いことを確認すると隣に居るサッチに声をかけた。 サッチもサッチで帰ろうと頭を小突いても返事の一つもないエースにイゾウより先に呆れていた様子だ。 目の前で大きな動きをしてみても、耳元で大きく名を呼んでも、エースは答えることが無かった。

『しっかし、腑抜けた面しやがって』

そう言ったイゾウは腕を組み椅子に腰掛ける。 もう暫し待てば彼だって帰ろうとするだろう。 流石にこのままここに泊まることはないだろうし、腹が減ればいつものようにメシだのなんだのと気もつく筈だ。

『多分お前んとこのクラスの子、だろ?』
『ああ?』
『エースがこんなになってんのだよ』
『・・・ああ』

サッチもポケットに手を突っ込んだまま近くの椅子に腰掛けた。 最近、エースが時々変になるのは決まって考え事をしている時だ。 いや、考え事をしているのか、ただ何かを思い出しているのか分からないが、 関連しているのはいつもあの子だと言うのは分かる。 だって、自分達はこんな風になるエースを今まで一度だって見たことが無かったから。

『まぁエースがやたらおれのとこ来るからそうじゃねぇかな、とは思ってたけど』
『おれから聞いて確信に変わった?』
『そうだな。と、言っても誰から見ても分かり易いからな、アイツ』

イゾウが言うように、エースは分かり易い。 機嫌が良い時もそうじゃない時も、言葉通り「誰から見ても分かり易い」。 ほら、こうやって呆けてしまっているのも、間違いなくそれを指しているからだ。 イゾウのクラスメイトでエースを意識している女子は勿論、 声をかける程度の男子だって少なからず、何かしら気付いてるに決まってる。 それはサッチとエースのクラス内でも同じことだ、と言う事はきっと学年全体に広がるのも時間の問題だろう。

『んでさ、どんな子なの?』

これだけ話をしても振り向きもしないエースを他所に、ニヤリとしたサッチがイゾウへと問う。 サッチは遠目から顔をちらりと見たくらいで、ほぼ知らない。 可愛い顔つきはしていたと思うが、それだけだ。 エースに聞こうとしても本人は恥ずかしいのか口にしないし、聞けば鋭い眼光が返ってくる。 だから問うことはタブーだ。

『どんな子ったって・・・』

突然の質問にイゾウは瞳を瞬かせ、そのまま何処かへ彷徨わせた。 自分の後ろに座ってはいるが、授業中はそうそう後ろを向いて話すことなんてない。 休み時間になればエースが来て次の授業の邪魔までするし、彼女だって友達との時間を過ごす。 接点と言えば、プリントの配布時、くらいか?

『んー、・・・淡白?』
『は?』
『常に冷静。笑ってる顔見たこと無い。まぁおれも接点ねぇからな』
『何それ?何処が良いの??』
『そこで呆けてるソイツに聞け』

はぁ?と顔を歪ませるサッチにイゾウは吐き捨てる。そんなの、自分が知るかとばかりに。 だっていつも同じ顔をしている所しか見たことがないのは本当だ。 授業で先生が冗談を言っても、仲が良いだろう友達と居ても。 そもそも自分は真面目に授業を受けているし彼女に興味無いんだから彼女の事なんて盗み見る分けがないじゃないか。 どうせ後ろの席だし、見ようと思ったら完全に周囲にバレる。 と、言うか、だから見る気なんてこれっぽっちも無いのだ。

『・・・でもなんか羨ましいなぁ』
『は?』

今度はサッチの言葉にイゾウが顔を顰めた。
何を言っているのかと言おうとした矢先、サッチが自らの口を開く。

『誰かをこんな風に想えるって、おれまだない』

エースの背中を見ながら頬杖をついたサッチはイゾウを見ること無く言う。 そして「ココまでなったら逆にめんどくさいけど」と眉を下げて笑ったがその言葉は本心だろうとイゾウには分かった。 確かに羨ましいかもしれない。こうやって誰かを一途に想える日々は。

『・・・おれだって、まだねぇよ』

イゾウはそう言うと外を眺め続ける背中に視線をやる。 そして同じように苦く笑った。煩くて我侭な男に、この気持ちを直接言ってはやるまいと思いながら。



『あれ?』

気がつけば、誰も居ない教室に一人。
エースは夕暮れの陽に照らされた辺りを見て、やっと自分が長い時間ここで過ごしていたのだと知った。 しん、と静まり返る空気は生徒が溢れかえって騒がしい昼間のものとは全然違う。

『やべぇ、もう帰らねぇと』

そう言ってエースは机の上に無造作に置かれた自分の鞄を取った。 中にほとんど何も入っていない鞄は軽くて薄い。持ちやすい形をしたそれはエースの脇に小さく納まる。

『んだよ、誰も声かけてくれねぇなんて白状だな』

時計に目をやればもう直ぐ部活動の生徒が帰宅するほどの時間。 サッチやイゾウ、更に他の友達も声をかけてくれたのだが全て右から左に抜けていたエースは、一人で勝手に解釈しそんな事をごちる。 彼らがあれだけ声をかけて、おまけに待ってやったのに、結果そう思われるのは心外だろう。 しかし何も知らないエースは口を尖らせながら足早に廊下を歩く。 そう言えば今日は弟の部活が無く、なるべく早く家へ帰って来ると言っていた。 そして弟の友人がバイトをするファミレスへ夕食をとりに行こうと約束していたんだった。

もう一度エースは「やべぇ」と漏らすとトン、と廊下を蹴って走る。弟は食事の類を待たせると、とても面倒だ。 目の前に現れた階段を一段飛ばしで下り残りの5段は思いっきり飛ぶ。 軽い音だけを立てて踊場に着地すると、手を伸ばし手すりを軸にくるりと向きを変えた。 すると、「わ、」と微かな声が耳に入った。

『おっ?』

人影に気付いて驚いたのは、エースも同じタイミングだった。 けれど先に声を出したのは自分ではなく、相手。 エースが足元に落としていた視線をあげると、相手のスカートが風にゆらりと舞ったのが分かった。 相手に「悪い」と一言、そう言おうと思ったら。



っ・・・さん』

踊り場で鉢合せたのはだった。

『ああ、エース君。今帰りですか?』

夕陽に照らされた踊場は西に傾く陽の光を反射して眩しいくらいだ。 そのキラキラと輝く中に、ちょこんとが立っている。 相変わらずの無表情だったが、当たり前のように話してくれるのが嬉しくてエースは思わず姿勢を正した。

『あ、ああ、そう。帰ろうと思って。・・・さんは?』
『先生の手伝いをしていました。クラス委員なので。私もこれから鞄を教室に取りに行って帰ります』
『残って手伝いを?真面目なんだな』
『真面目なんかじゃない、・・・けど』

そこまで言って、は言葉を濁した。 しかし、変わらずしっかりと自分と視線を合わせる彼女に、エースはビクリと肩を震わせる。

そして、いつも姿勢を正してしまうのは、の前で緊張しているからだけれど、 それだけじゃないな、なんて頭の片隅で思った。 やっと分かったが、の姿勢が良いからだ。ピン、と天に向かい背筋を張り、常に真っ直ぐ前を見ている、 相手との瞳を逸らすことすらない無垢な視線。

これが、惹かれた理由かもしれない。

『あ、あの・・・家は?良かったらさ、』

エースはの瞳をしっかりと見つめ、一歩前へ歩み寄った。 彼女と一対一で話が出来るなんて、こんなチャンスはなかなかない。 おまけに暗くなってきた中で一人女の子が帰宅すると言うのなら「危ないから送る」と、自然に言えるのではないだろうか。

『だから、その・・・』
『はい?』

エースが言葉を紡ぐのをはじっと見つめる。 なんてことない数秒だったのに、身体が瞬時に熱を持ち始め、だらだらと見えない汗が至る所から吹き出ているようだった。 エースはごくりと息を呑み、呼吸を整える。そして、



『おれと一緒に・・・』
、まだ残ってたのかよい』

エースと重なるように声をかけたのは、階段を上がってきた教諭のマルコだった。 ネクタイを緩め肘の手前まで腕捲りをしたマルコは両手に資料らしきものを抱え、自分のクラスに向かう途中だったようだ。 二人を見つけた顔は少しだけ授業とは違い、気の抜けた声を出す。

『エースも一緒かよい』
『んだよ、マルコかよ』
『んだよ、ってなんだよい。あと先生をつけろよい』

エースは「邪魔をするな」と、そんなつもりで気安く言った。 マルコには二年間学生生活をする中で世話になることが多かった。 教諭だが半分友達のような感覚で話が出来る相手で、良い意味でも悪い意味でもついつい「先生」とつけるのを躊躇ってしまう。

頭をかいたエースは、に視線をやる。 そう言えば彼がの担任だったな、なんて思いながら。

『マルコ、せんせっ・・・』

しかし、がそう口にした途端、時間が凍り付いてしまったようだった。

『さっきは助かったよい。早く帰れよい』
『・・・はい・・・』



エースは呆然と二人を眺める。

あれだけ表情を変えない彼女の、初めて見る顔。 いつも、何にでも真っ直ぐ見つめる視線は逸らされ、西日で出来た影を追うように足元ばかり見ている。 やっぱり姿勢は良かったが、指先は落ち着きがなくスカートを握ったり髪を触ったりして、 まるでと居る時に在る自分のようだ。

そして、エースは知る。黄昏に染まる空間じゃなくたって、そう言う風になる相手、それは。



恋ってなんだ 一目惚れってなんだ、
そんなもの食えねぇんだから美味しくないに決まってる。
そう思っていたおれは、賢かったかもしれない。






04.知ってしまった恋の色
(どうして、なんて聞けない)

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エースもサッチもイゾウも、皆純情過ぎるって言う。