手から腕、背中から腰、脚から爪先、身体は全て包帯に覆われている。
少女はうつ伏せにベッドに横たわりながら、ただぼんやりとしていた。
04.Fading eyes.
『落ち着いたか?』
幾つかの紙袋を持ったチョッパーが、ドアを静かに開けて入ってきた。
彼は両の瞳を開きしっかりと意識がある少女の顔を見て安心したのか明るい声で問う。
警戒する少女に、チョッパーは心配事は何も無いのだと態度と声色で伝えたいのだが、
当然それだけでは彼女に伝わらないようだ。
全てを理解するには、彼女にもこちらにも情報が足りなさ過ぎる。
チョッパーは少女に言葉無く視線を外され、空間は沈黙に変わった。
気まずいな、と苦笑いをしたチョッパーはお気に入りの回る椅子に腰掛けると紙袋を鳴らして中身を出す。
紙袋の中身は薬草類だ。手際よくそれを取り出すと、薬研に入れる。
少女の為に、一番効く薬を作ろうと手を動かし始めた。
『・・・此処は、何処?』
『え?』
ゴリ、と石独特の音を立て薬をならした時、少女の方が小さな声を発した。
彼女から声をかけてくれた事に喜びに似た感情を感じたチョッパーは、
その手を止めて立ち上がりベッドの傍まで行きたかったが、
警戒しているだろう彼女の気持ちを考慮してそのままの場所で顔色を変えないように努力する。
ここで距離を詰めるのは、揺らぐ精神を持つ相手にすることではない。
『ここは、船の上だ。海賊船。でもな、』
『また・・・』
「でも」と言ったチョッパーの言葉を弱弱しい声が遮る。
チョッパーよりも随分力無いのに、言葉を止めるには十分だ。
『・・・また私は売られたんですか?』
多分、虚ろな瞳と無表情のせいだろう。
それを見て、チョッパーはまるで鈍器のようなもので胸を打たれたかのような衝撃を受けた。
彼女が負っている深い傷、ルフィからの説明、朦朧とする意識の中でも「殺して」と言った感情。
それらを考えると大変苦しい思いをしてきたのだろうと憶測からでも分かる。
それに、本人から諦めたような声色でそれを言われると、更に胸に痛い。
『違うわよ』
『ナミ!』
言葉を失っていたチョッパーが声の方向へ振り向くと、腕を組みドア付近の壁に寄りかかったナミが盛大に溜息を吐いた。
気配に気付かなかったがいつから居たのだろうか。
その様子からするとチョッパーが帰って来た最初から、いや、その前から見ていたのかもしれない。
彼女は彼女なりに、少女を按じていたのだろう。
『此処は海賊船だけど、アンタを傷つける者は居ないわ。
それにうちの船長がアンタを助けたのよ?あとでお礼くらい言いなさい』
そう言うとナミは髪をかきあげ肩を竦め、少女へ一歩歩み寄ると諦めたような笑顔を浮かべる。
『・・・何で助けたのですか?』
『さあ?でもまぁ、あいつに助けられちゃったんだから、しょうがないわね』
少女は開ききらない瞳でベッドの隣に立ったナミを見た。
感情の灯らない視線は再び沈黙を作る。
言葉に詰まっているのならとナミは少しだけ屈むと、安心させるように笑った。
『傷、治るまで此処にいたら?どうせ行く所無いんでしょ?こっちもログが貯まるまで暫くあるし』
『・・・いえ、結構です』
表情のわりにきっぱりとそう言い放つと、少女は包帯だらけの両手に力を入れて徐に起き上がった。
ベッドの軋む音の他に鈍い音が身体のあちこちから聞こえる。
それが傷ついた骨や幾重にも巻かれた包帯の摩擦音だと分かったナミはその場から動けず、ただぞっと背筋を凍らせた。
負っているのは素人が一目見ても起きてはいけないと分かるほどの怪我なのだ。
動けないナミを一度見たあとに視線を逸らした少女は腕に刺さっていた点滴を無理矢理引き抜く。
一本二本と乱暴に抜き、そのまま床へと乱雑に放った。
『待て!お前はまだ歩いちゃダメなんだって!血が・・・っ』
『・・・誰も助けてと頼んでない』
立ち上がり部屋の外へ出ようとした少女は先程とは違い鋭い視線をチョッパーに向け、その横を通り過ぎる。
まだフラフラとした足取りだったが辛うじて真っ直ぐに進み、上がらない腕を強引にあげてドアノブへと手をかけた。
痛みのせいで少女の口から小さく声が漏れたが多分誰にも聞こえないようなほどのもの。
それよりも鮮血に塗れた包帯の方が、二人の視線を集めていた。
『ちょ、ちょっと!アンタねぇ・・・っ』
痛々しい彼女の動きを息を潜めるように見ていたナミが唐突に声を荒げる。
折角助けたのにその言い草は一体どう言う事だ。
例えそう思っていたとしても自分の腹の中に篭めたまま発する事無く寝ていれば良いものを。
ナミはヒールの音を高く鳴らせて少女に歩み寄った。その時。
『ナミさぁ〜ん、メシの時間だよ〜』
場を壊す、気の抜けた声が室内に入り込んできた。
『サンジィ・・・』
『んあ?泣きそうな顔してどうした、チョッパー』
華麗な一回転とともにドアを開けたサンジは、足に縋り付くチョッパーに視線を落とした。
言葉に困り元気の無い彼の声の理由を探そうと顔を上げれば、その瞳は見慣れない一人の少女に辿り着いた。
『あれ?あの子、起きれるのかい?』
『違うんだ、あいつ・・・』
『良いのよ!チョッパー!』
驚いたまま立ち尽くすサンジへチョッパーが分けを説明しようとしたのを、ナミが制止する。
拳は力いっぱい握り締められ、怒りが表されているのが見て取れた。
『そんだけの減らず口が叩けるなら出て行きなさい。その前に、ルフィにだけは一言言いなさいよ。
アンタを助けたのは、その男なんだから』
『・・・何処に居ますか?』
しかし少女はナミの抱える熱にも、チョッパーの心配する眼差しも、サンジの冷静な呼吸も、何もかも感じていないようだ。
視力が落ちているわけではない。瞳に傷などついていなかった。
けれど彼女には今、誰がそこに居るなんて見えていても仕方ないようだ。自分と自分以外。世界はそれだけだった。
少女はナミ達によってダイニングへと案内された。そこには所狭しと料理が並ぶ。
見たことも無いような飾り付けを施された分厚い肉、鮮やかな彩と細やかな細工をされた野菜、
皿いっぱいに乗る大きな魚は珍しい形と驚くほど香りが豊かだ。
いつか見た絵本の中の、綺麗に描かれた夢のようなご馳走だと思った。
ただ、今の少女にはその記憶と瞬時に重なっただけ、それで終わりだった。
食欲に瞳を輝せる事も、鼻をくすぐる香りにゴクリと喉を鳴らせることも無い。
自分を助けたという人物を探す為だけに動いた瞳は、ただ全てを通り過ぎた。
『おお、お前起きたのか!』
積み上げられた皿に今にも埋もれてしまいそうな場所に目的の人物は居た。
少女を見ながらも手を動かし口を動かし、器用にも話しながら物を飲み込む。
少女を案内したナミが「ルフィ!」と後ろから嗜めるような声をかけたが、
表情一つ変えず振り向かない彼の耳には聞こえているのか居ないのか。
『・・・助けてくれて有難う。お世話になりました』
どんなにマイペースな出会いだとしても、そんなのはやはり少女に何の関係もない。
包帯で巻かれ動かすに難しい身体で一つ礼をする。
『なぁルフィ!こいつ寝てくれないんだ。まだ動いたらダメなのに・・・』
その横から、チョッパーが二人の間に入り込んだ。
彼女の傷口を見たチョッパーはどれだけの怪我を負い、どれだけ治るのに時間と手間がかかるのか分かっている。
出来れば医師として、話す事、動く事、呼吸以外の全ての行動を、極力控えて貰いたいのに。
『そうなのか?』
『いや、大丈夫です』
『大丈夫って言ってるぞ?』
『ダメなんだ!!』
しかし、そんな事ルフィが分かるわけがない。
病気一つせず怪我も治りが早い彼は、多分常人のそれを察する事は不可能だろう。
チョッパーが声を張り上げて懇願するような視線を送ったが、まんまるの瞳はぱちくりとまたたいただけだった。
『じゃあ、これ、食えよ。うめぇぞ』
『・・・は?』
『肉食えば治るんだぞ?』
「治るか!」と方々から声が聞こえたが、彼は「治るだろ?」とだけ首を傾げた。
彼の言いようとしては、出て行きたいのなら少しでも怪我を治せと言う事だろうか。
けれど差し出された骨付きの肉を今までのように美味しそうだとか食べたいとか、そんな感情では見れない。
戸惑いに似た表情を浮かべたが、少女はただルフィに手にある皿を一瞥した。
(2011/08/30)
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