とある冬島の、とある酒場。 ログに示され立ち寄った麦わらの一味は、久方ぶりに土を踏む。 深々と雪が降り続く素朴な町は思いのほか船医が気に入ったらしく、船医を筆頭に一味は町を各々散策し最終的にここへ辿り着いた。 酒場の大きな窓から外を見れば、彼の故郷を思わせるその風景は柔らかい雪に覆われ、ところどころの建物から優しい灯りを漏らしていた。

酒場の中心には、大きなグランドピアノがあった。 夜な夜な数人のピアニストが交代で演奏し、酒と音楽で客を暖めているのだそう。 誰とでも直ぐ仲良くなれる魅力十分の船長に誘われ、一味自慢の音楽家ブルックは椅子に浅く腰掛け鍵盤に手を置いた。

ブルックが鳴らすピアノの旋律に、船長とその周りの客が瞳を輝かせる。 古くからある、海賊の歌。ほとんど知らないものは居ないだろうその歌はブルックにとっても大事な曲だった。 気持ちの込められた歌声が、ひとつひとつ重なる。 長くて滑らかな動きをする彼の手から紡がれる音楽には酒場の誰もが耳を傾け、次第には歌っていた。



『あ、この曲』

カウンターで食事をしていたは、聞こえた音に振り返った。 見れば、酒ではなく肉に溺れすっかり出来上がってしまっている船長を筆頭に、他のクルーも楽しそうに歌っている。 ブルックが居れば船上で音楽会をする事も多々あるのだが、やっぱり大勢と共に歌う事は、また感覚が違う。 幸せそうに歌い笑う皆の顔を見ていたにも自然と笑みが浮かんだ。

『ゾロさんは、歌わないんですか?』
『あぁ?』

食事に手を戻したは、隣で淡々と酒を煽るゾロを見た。 次々と彼の胃袋に消えていく酒は留まるところを知らず、永遠と流し込まされている。 がただ浮かんだ疑問を純粋に聞くと、少しも酔った様子のないゾロはいつもの顔で聞き返した。

『・・・歌わない、ですよね』

威嚇、してるつもりはなかった。萎縮、させるつもりでもなかった。 彼女も分かっていると思うが、誰に対しても自分はついついこう言った態度を取ってしまうことがある。 今更の性格だし直すつもりは毛頭ないが、にこんな顔をさせるくらいなら気をつけたりしないでもない。

『いや、歌は・・・』

歌わない、事は無い。けど、歌うことの方が珍しい。ゾロはそう言うともう一口酒を飲む。 実際こうやって騒ぐのは好きだ。船長の言う「宴」は本当に豪快で逸楽で心の其処から楽しめる。 彼の言う「宴」に歌や音楽はつきものだが、どちらかと言うと仲間以外の人々と話をしたり、 酒を飲むことに耽っている方が自分には合っていると思う。 現に、この歌を肴に酒を飲むと格別旨いと感じるのだから。

『でも、勿体無いないなぁ』
『勿体無い?』

そんな事をぼんやり思っているとが食事の皿を静かに重ねた。 自分から話しかけてきたくせに今の会話の合間に何か頼んだようで、従業員へにっこりと笑顔を向けた。 それでもメニュー片手のに「まだ何か食うのか」、と思ったゾロだったが、 嬉しそうにする彼女の顔を見てその言葉を酒と一緒に飲み込んだ。 はデザート欄を見ながら、美味しそう、のついでのように口を開く。

『きっとその声で歌われたら、素敵だと思うんです』

酒を飲んだ瞬間そんな事を言うものだから、ゾロは咽そうになった。 何を言うのだと顰めた顔をしても、こちらを視界の端に入れただけのはそれに気付いていない。 咳払いをして喉の違和感を飛ばすと、ゾロは頬杖をついてへと身体を傾けた。

『・・・は?おれの声が?素敵?』
『はい』
『・・・お前はおれの声が好きなのか?』
『はい』

サラリと返答をしつつまだデザート欄なんか暢気に見ているへ、ゾロは問う。 やっぱり視界の端にしかゾロを入れていないその顔には、会話より食べ物の事で頭がいっぱいと書いてある。

『ゾロさんの歌声、聞いてみたいなぁ、あっ!』

あんまりにも食べ物に意識が行っているものだから、ゾロは少しばかり面白くなかった。 顔を見て話したいのに、とメニューをヒョイと取り上げれば、は反射的にゾロを見た。

『歌、聞きたいんだろ?』
『え?あ、はい』
『こんなもん見ながら・・・。お前本当に聞きたいと思って言ってるのか?』

ゾロの鋭い瞳に射られたは、「しまった」と思った。 確かにゾロの言う通りで、しっかり自分の意識はデザートの所へ飛び立っていた。 歌っているのが聞きたいと言ったのは冗談でもお世辞でも、 この強持ての彼が歌ったら面白だろうとかそんな失礼な事を考えていたからじゃない。 ただ、純粋に前から考えていた事だ。聞いた事が無いから尚更。

『すっすみませんっ。でも、本当にそう思っていたんです』

引き攣ったの頬はゾロにも分かった。 いつでもそうだが、顔に出る彼女の感情は誰だって直ぐに読み取れるだろう。

『だって、あの、その・・・』

巧い言葉が探せないは困った様子丸出しで宙へと視線を行き交わす。 なんと言ったら良いのだろうか、どう言葉にしたら伝わるのだろうか、と。

暫しそれを無表情に見ていたゾロだったが、ゆっくり口の端を上げてニヤリと意地悪そうに笑った。



『子守唄なら、歌ってやっても良いぞ?』








ビオトープ・マジック
(子守唄??それって、子ども扱いしてませんか?・・・お前なぁ・・・) 2011/04/22

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