『虫っ・・・!!』

珍しく出された大きなの声に、辺りを探っていたゾロは振り返った。



ログに辿り寄せられて着いた此処は、何もない島。 かつて訪れたリトルガーデンのような密林が広がり、遠くには小高い丘が望める。 船を停泊させた近くには河があり、その透明度は高く美しく日の光りをキラキラと反射させていた。

今回、この島に人は住んでいないらしいがさして問題は無かった。 此処へ来る前に立ち寄った島でどんな所なのかちゃんと情報を手に入れていたし、 その為の食料などの物資もしっかり積んでいたので航海に支障は無い。 ただ一日ほどログが貯まるのを待つ、と言う点では問題はあった。

暇を持て余した船長が、島を冒険する、と言い始めたのだ。

彼はサンジに肉ばかりの弁当を作って貰い、颯爽と出かけた。 ブルックとフランキーとロビンも彼に続き興味深い森を探索すると言い同じ道を行く。 ウソップとチョッパー、ナミは勿論船の上に居ると言い、 サンジは夕飯の用意をすると言ってキッチンに向かった。

そしてはと言うと、夕暮れを背負うゾロの後ろを歩く事となる。



『こんなの、ただのクモだろ』
『あ、有難う御座います・・・』

いつの間にかの肩に身を置いていた蜘蛛をゾロはさ、っと手で避ける。 は蒼い顔をしながら両肩をくまなく見てもう自分に虫の類が居ない事を確認するとほっと息を吐いた。

『嫌ならついて来なきゃ良かっただろうが』
『そんな言い方。だって・・・、』

そう言った途端、は口を噤んで眉を下げた。 何か言いかけたがそれは今言葉に出来ないのだろうか。 段々と視線を下げ俯き気味になってしまったの表情はもう見えない。 ゾロは少しだけ首を傾げながら言葉に迷うを待ってみたが、唇を噛んでいる事しか分からなかった。

『「だって」、何だよ?』
『わっ、』

俯いてしまわれたら顔を上げさせるまでだ。
ヒョイ、との腰に手を当て持ち上げると顔を覗き込むようにして問う。

『ははは離して下さい!』
『お前が言わねぇからだ』
『そんな・・・っ』

真っ赤になったが抵抗を見せるが、ゾロの腕力の前ではいともあっさりと覆される。 長身のゾロに捕まったの足はまるで地に届かず、ただ子供のようにパタパタと軽い音を鳴らす。

『本気でやれば離れられるかもしれねぇぞ?』
『本気でやっても私が貴方に勝てる分け無いでしょう?下ろして下さいっ』

本気でやられたらそうも行かないだろうと思ったが、 の熱を持った頬を見たゾロはただカラカラと笑う。 真剣に困っているのだろうが、こっちから見ればからかい甲斐がある女と言うか何と言うか。 「よ、」と一言言うとゾロは持ち上げていた腕をの身体に回し、今度は横抱きにしてしっかりと包む。

『ちょっと!こんな、』

「こんな、お姫様抱っこみたいな真似」そう言いかけただったが後半の言葉を紡ぐなんて恥ずかしくて仕方ないのだろう。 まだまだ赤くなりながら言葉を呑むを尻目にニヤリと笑うゾロはなんとも意地悪そうな表情だ。



正直、ゾロは彼女をこうしている時、とても楽しかったりする。 簡単に言ってしまえば好きな子にチョッカイを出していると言う構図なのだけれど、こんな些細な事が今の自分にとっての幸せだ。 何を言わんとしているのか分からないが自分を見て頬を染めている彼女を、 そして自分に抱きかかえられながら戸惑う瞳を、もっと困らせてみたいとも思う。

『で?何なんだよ?』

柔らかく温度の高い彼女の身体を持つ手に少しだけ力を入れる。
ぐっと、身を引き寄せもう一度無理矢理顔を覗き込んだ。

『だ、だから・・・』



ゾロを見るの潤んだ瞳、揺れた睫毛、高揚する頬に、紅く艶のある唇。
それらを視界めいっぱいに入れたゾロは、ピタリと動きを止めた。

そして、自分でしていて何なのだが、ゾロはこの時「しまった」と思った。
腕にすっぽりと抱きかかえた彼女が可愛くつい調子に乗ってしまったが、気がつけばこんな状況。
この距離なら、もう少し顔を近づけただけで彼女の―、互いの唇が触れられる距離だ。

顔を赤らめているだが、ただ子供のように抱えられている状況が恥ずかしいと思っているのだろうか。
それともゾロの気付いたそれに、ゾロよりも先に気付いていたのだろうか。
いや、きっと彼女の思考に深い意図は無い。どうせ恥ずかしいだけだろう。

ただ、―二人きり、密林、夕暮れ。

そのワードだけで、ゾロの芯がゾクリとした。
そしてこのまま彼女を押し倒してしまいたい気に駆られた。どうしょうもなく、愛しいと、

けれど、



『ゾロさんが迷子になるからついて行けって、ナミさんが・・・っ!!』
『・・・は?』

ゾロの胸の内生まれた衝動は勢いを持ったの声に掻き消された。

『「は?」じゃなくて、だから・・・っ、ゾロさんが迷子になるから見張っておけって。 私は虫が苦手なのですが、ゾロさんが居なくなったら困るし・・・』

いつまでたっても離さないゾロの腕に心底困っている様子のは 一生懸命言葉にしているだろうと誰の目にも分かる表情で話す。

つまりはこう言う事だ。
ゾロは絶望的な方向音痴で、一人でこんなに広い島を歩かれたら明日の出航までに、 いや、それこそもう此処ヘは帰ってこれないかもしれない、とナミは思った。 だからと言ってゾロが船外に出る事を止めるのは容易では無く、 だったらナミやウソップよりも上手にゾロを扱え、更にどんな場でも腕の立つがついていけば良いと結論が出て半ば強引に派遣された。 確かに自身、ゾロが居なくなっては困ると思っていたから虫怖さよりもついて行く事を選んだ分けなのだが。
・・・だが、理由は言えなかった。何故なら、

『いつもサンジさんに迷子って言われて怒ってたから、私も怒られるんじゃないかと思って・・・』

だから言えなかった。俯きながらはそう零した。

『・・・怒らねぇよ』

すっかり気の冷めてしまったゾロは溜息ながらにそう答える。まぁなんと彼女らしい純粋な考えだこと。 確かに自分は愛想の良い方ではないが、を少なからず怖がらせていたとは思いもしなかった。 ポンポン、との背中を撫でるように叩くと、安心させるように視線を合わせた。

『・・・あの、下ろして、くれますか・・・?』
『お前はおれを船まで連れてってくれるんだろ?』
『でも、抱っこする必要なんて、』
『あ、また虫』
『ぅあ!』

ゾロがチラリと見た先をがつられて見れば、そこには先程とは違う昆虫が。 考えればこんな密林、昆虫を見ない方が難しいに決まっているのだ。 視界にも入れたくないのか、無意識にゾロに抱きついたは、顔を隠して小さく懇願する。

『・・・船まで、お願いします・・・』
『お安い御用だ。案内は頼むぞ』
『そ、それは勿論。では一刻も早く帰りましょう』
『おれはもう少し、いや、ずっとこのままでも構わねぇけどな』
『え?・・・あ!!』

クク、と笑ったゾロに言われては自分が何をしていたのか気付いた。 けれど足を下ろせば未知の生物がいて、更にはそれを視界に入れる事になる。 もう形振り構ってられない、今はただ。

『・・・皆には、内緒にして下さい』

本当は冗談じゃなくて永遠にこうして愛しい彼女を抱いて居たいけれど、 時間は限られていて自分の願いが叶わないのは知っている。だから只今はこの状況に思いっきり甘んじて。

『仕方ねぇな』

そう言ったゾロはしっかりと掴まるを優しく、それは優しく抱きしめた。








09.たとえば、永遠があるとしたら
(ちょ、船!もう船なんですけど!?下ろして!下ろしてってばー!) 2011/04/11

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